022 【カテゴリー:日本語・語学】日本語の可能表現



日本語は難しい言語だと言われます。

今回は その理由のひとつと言える 日本語における可能表現についてです。


 

日本語の主な可能表現の種類
1.『~することができる』
2.助動詞『れる/られる』
3.可能の意味合いを含む動詞『見える』『聞こえる』
4.可能動詞

 


 

1.『~することができる』


『~することができる』という表現は、『~する』の箇所で動詞の連体形を用いて、形式名詞『こと』助詞』動詞『できる』を続けることで表される表現で、ほとんどの動詞で使えるため、日本語を母語とする人には分かりやすい表現だと言えるでしょう。

ただし、助詞』の代わりに『』や『』などを用いることもあります。

例:
作ることできる
書くことできる
話すことできる
見ることさえできる
見ることさえもできる
頭で理解することならできる

このように助詞が絡んでくると、可能表現 以前の問題として難しくなってくるでしょう。

過去に一度、韓国人留学生と話をする機会があったのですが、文法的に日本語と近い韓国語を母語とする人であっても『助詞の使い分けが難しい』と言っていました。


 

2.助動詞『れる/られる』


そもそも助動詞『れるられる』には4つの意味があります。

A.受け身
自転車を盗まれる
熊に襲われる
先生に叱られる
※下線部は動詞『叱る』の未然形『叱ら』と助動詞『れる』の組み合わせです。

B.可能
生のまま食べられる
皮ごと食べられる
※下線部は動詞『食べる』の未然形『食べ』と助動詞『られる』の組み合わせです。

C.尊敬
また来られたのですか。

D.自発
不思議に思われる


助動詞『れるられる』には上記の4つの意味があります。

ちなみに、『おっしゃる』『召し上がる』『なさる』『下さる』などの尊敬語の動詞や、『~なさる』『お~になる』などの尊敬の表現もあり、

尊敬の意味で『れるられる』を用いるよりは、『なさる』『~なさる』『お~になる』などの尊敬語や尊敬表現を用いたほうが良いとされており、実際に『れるられる』が上の4つの意味のうち尊敬で使われることはそれほど多くないように感じます。

また、受け身可能かを区別するため、『食べる』などの動詞では、『食べることができる』の可能の意味では『』を省略する、いわゆる『ぬき言葉』が定着しています。可能の意味の時は『食べれる』、受け身の意味、熊などに襲われて食されるような場合は『食べられる』、といった具合です。

助動詞『れるられる』に4つの意味があるのも日本語を難しくする要因ですが、そこに敬語や『らぬき言葉』が関わってくると、日本語を学ぶ人たちはなかなかに大変なのではないでしょうか。

また、『食べ()れる』を『れる』に換えると現代では受け身の意味にしかならず、こう考えてみると『日本語はとてもややこしい』とすら思わされます。


 

3.可能の意味合いを含む動詞『見える』『聞こえる』


見える』『聞こえる』の2つは特殊な部類で、常に可能の意味を持つとは言い切れず、本来は自発の意味合いが最も近いように感じます。

見える』『聞こえる』の原義は、それぞれ『自然と視界に入ってくる』『自然と耳に入ってくる』ということだそうです。

ちなみに、『見える』は『おいでになる』『いらっしゃる』という尊敬の意味で用いるケースもあります。

そして、

『彼は年齢のわりに若く見える』 『津軽弁は外国語のように聞こえる

のような例では、いずれも『感じられる』などに置き換えが可能で、自発の意味合いが最も近いような気がします。



もっとも、

見えることができる』 『聞こえることができる』

見えられる』 『聞こえられる』

これらのように、1.『~することができる』2.助動詞『れる/られる』で書いた可能表現と『見える』『聞こえる』を併用できないのは、そもそも『見える』『聞こえる』に可能の意味合いが含まれているからだと言えるでしょう。

また、

『よく見える』 『よく聞こえる』

と言えば、

『はっきり視認することができる』 『よく聞き取ることができる』

のように、やはり可能の意味になります。



以上のことを踏まえると、『見える』『聞こえる』には可能の意味と自発の意味の両方が含まれると言っても良いのかもしれません。

あるいは、そもそも可能の意味と自発の意味は互いに独立しているものではなく、何らかの共通点があるのかもしれません。

日本語学・国文学上は可能の意味と自発の意味は明確に区別されているようですが...

ちなみに『見える』と『聞こえる』はそれぞれ、古語の『見ゆ』と『聞こゆ』からきているのですが、

この古語の『見ゆ』と『聞こゆ』を更に遡ると、上代奈良時代・それ以前)の受け身・自発・可能の助動詞『』が関係しているとのことです。

奈良時代・それ以前に使われていた助動詞『』にも自発可能の両方の意味があったということです。

受け身は別としても、自発可能はどこかで通じているのでしょうか...


 

4.可能動詞


最後に、やや変則的と言える可能動詞を紹介します。

そもそも可能動詞とは、五段活用の動詞から生じています。

五段活用の動詞は、『書・読・話・飲・進・使』など、後に否定の助動詞『ない』などを付け足す時にウ段の箇所がア段に変わる動詞です。

ないないない、といったようにです。

そして、それらから生じた可能動詞は五段活用から下一段活用に変化するという共通の特徴があります。

下一段活用の下一段とは、ウ段のひとつ下にあるエ段のみ、という意味合いで、下一段活用の動詞は『始る・整る・調る』など、終止形でも未然形でもどの形でもエ段の箇所はそのままです。

可能動詞も、以下に挙げますが すべて下一段活用の動詞です。

ちなみに、可能動詞は近世の江戸語に発生し、明治以降に次第に定着していったとのことです。また、2.助動詞『れる/られる』の項目で書いたら抜き言葉と似たようなもので、ら抜き言葉と同様、個別に覚えなければなりません。



では実際に、もとの動詞と派生してできた可能動詞を挙げていきます。

A.飲む - 飲める
B.書く - 書ける
C.使う - 使える
D.話す - 話せる
E.立て直す - 立て直せる
F.進む - 進める

最後に挙げた【進む - 進める】の組み合わせは通常の動詞と可能動詞の関係ではなく、本来は自動詞と他動詞の組み合わせなのですが、後で精査します。



一旦、【進む - 進める】以外の組み合わせを見てみます。


 A.飲む - 飲める 

『飲む』に可能の意味を持たせる、つまり『飲むことができる』という時、元来は『飲まれる』としていました。現代では『飲むことができる』という意味での『飲まれる』は使われていませんが、明治時代には存在したようです。

森鴎外の小説『杯』の中で、『そうね。こんな物じゃあ飲まはしないわ』という台詞が出てくるそうです。現代なら『飲めはしないわ』とする場面です。


 B.書く - 書ける 

こちらの『書ける』は『書く』に可能の意味を持たせたものです。


以下も同様です。尚、上には挙げていませんが【立ち直る - 立ち直れる】の組み合わせが考えられます。

ちなみに【立ち直る - 立て直す】は【自動詞 - 他動詞】の関係にあります。

そして、【立ち直る - 立ち直れる】ですが、よく聞くわりには国語辞典には掲載されておらず、正式には認められていない可能性があります。しかし、『立ち直れる立ち直れない』はよく聞く表現ですし、パソコンなどの漢字変換でも出てきます。



では、最後の【進む - 進める】の組み合わせについてです。

工事が進む - 工事を進める
宿題が進む - 宿題を進める
話が進む  - 話を進める

のような場合は明らかに【自動詞 - 他動詞】の関係ですが、次の例はどうでしょう。

暗くなってきたから今日はこれ以上 進めない
かなり難しくなってきたから今はこれ以上 進めない
まだまだ進めそうだ

上記の3つの例はいずれも可能の意味だと感じる人が多いのではないでしょうか。

現に、Google 翻訳で日本語を英語に変換してみると、

暗くなってきたから、今日はこれ以上 進めない。→ It's getting dark, so I can't go any further today.

まだまだ進めそうだ。→ It looks like we can continue.

となり、英語訳では可能の助動詞 can が使われています。

進める』という可能動詞は今のところ国語辞典には記載はなく、『進める』の可能動詞(可能表現)は『進められる』だとされています。

『これ以上 進められない』が正しい表現であることは確かですが、『これ以上 続けられない』や『これ以上 国を治められない』といった表現はよく聞くのに対し、『これ以上 進められない』はあまり聞く機会がないように感じます。

『進むことができる/進めることができる』の可能の意味の『進める』は現在は誤用法とされているのかもしれませんが、将来的には容認されて国語辞典に可能動詞として掲載されるかもしれません。



やはり、日本語は難しいですね。

このような日本語の文法や表現・現象に 日本語を母語とする私たちが精通することは 絶対的に必要ではありませんが、ある程度 触れて 自身の母語について理解しておけば、後に英語など外国語を学ぶ際に役に立つ場面もあるのではないでしょうか。

018 【カテゴリー:教育・語学】外国語の習得には、その言語の文法と母語に対する見識が不可欠である ②
019 【カテゴリー:教育・日本語】外国語の習得には、その言語の文法と母語に対する見識が不可欠である ③ ~現在完了と『~している』~
で既に紹介した通り、外国語を習得するうえで母語についての見識は有用であることがよくあります。

中学1・2年生の国語の授業で、日本語の文法をわずかに扱うことがありますが、小学校のうちから少しずつ・定期的に接する機会があれば良いのに、と思います。