017【カテゴリー:教育】小学英語は不要であり、国語教育の改善こそが必要である ①

2020年度より、小学校5・6年生の英語が『活動』から『教科』へ変更され、同時に3・4年生においても英語が必修化されました。

 

かねてより、『日本人の英語力が低く、グローバル化が進む世界での日本の国際競争力が危ぶまれる』といった論調が存在し、前世紀の終わり頃から、小学校に英語教育を導入すべきか否か、活発な議論が行われてきました。

 

小学英語の教科書は、イラストメインで、吹き出しに短い発話が盛り込まれていて、本格的に学ぶというよりは表現を練習するようなイメージに近いと言えます。かつて議論されていたほど本格的に教えているようには見受けられません。

 

もっとも、昔は小学校では英語教育を行っていなかったことから、小学校教諭の教員免許取得の要件に 英語教授法は盛り込まれていなかったため、小学校に英語が導入される以前から 小学校で教員を務めていた人でも 簡単に対応できるような内容・方法に限定するのであれば、『朝の挨拶は Good morning です』『どちらが好きですかと尋ねるときは Which Do you like…』といった具合で、英語の表現と日本語の意味をほぼ1対1対応にさせるのもしかたないでしょう。

 

あとはネイティブに任せるという方法も考えられますが、生まれてから10年間 日本語しか習得してこなかった小学生たちに対して英語だけで授業を行っても、ほとんど理解されないでしょう。いずれにせよ日本語での説明が必要になります。

 

現状、中学英語の内容が前倒しされた訳ではなく、わざわざ文科省検定済教科書を用意するほどのものでもないように思えます。

 

では、現行の小学英語の内容を本格的にして、中学英語を前倒しするべきかというと、私はそうは思いません。

 

むしろ小学・中学と通して、日本語についてもっと精密に考える機会を与える必要があると考えています。

 

第二言語母語を習得した後に学ぶ言語)は、おのずと母語を介して学ぶことになります。初めに日本語を身に付けた我々は、物事を考えるとき、日本を介して考えています。

 

かつて日本統治下の台湾および日本本土で 日本語で教育を受けた、台湾の李登輝・元総統(1923-2020)も、難しいことを考えるときは日本語で考えていたくらいです。

 

『日本語と英語は語順が異なり、英語は英語の語順で理解するよう努めるべきだ』と言われることがあります。そのこと自体には異論はありませんし、そのためには英語を聞いたり 声に出したりといった言語の本来の習得方法を、多く取り入れる必要がありますが、やみくもに早く始めれば良いというものでもありません。

 

更に言うなら、日本語を介して英語を理解できないうちは、英語を英語のまま理解できるはずがなく、あるいは、言いたいことを母語で正確に伝えられないうちは、言いたいことを第二言語で正確に伝えられるはずがありません

 

そもそも、日本の国語教育は穴だらけです。小学国語で主語と述語を軽く扱い、修飾語についてはほとんど扱うことなく中学に上がり、英語で主語・動詞(述語動詞)・修飾語を本格的に習います。小学国語で品詞と向き合うことなく、中学英語で初めて動詞・名詞・形容詞などの品詞を習います。

 

必要条件・十分条件などの論理的な考え方や帰納・演繹といったことを一切 習わないまま、高校数学で初めて必要条件・十分条件背理法数学的帰納法を習います。

 

国語で習う前に、先に他の教科で習うという現状は、異常としか言いようがありません。

 

このようなガタガタな国語教育をしながら、小学校のうちから早々と英語教育を行ったところで、たいして得られるものはないでしょう。

 

近年の中学生・高校生には、数学や理科などの問題文の意味さえ まともに読み取れない生徒が多く見受けられます。

 

例えば、過去に兵庫県の公立高校入試の数学の問題文において、『父はLサイズのハンバーガーとライスの2品を注文した』というような文面があったのですが、これを見て『父はライスを2品 注文した』と解釈する中学生が後を絶ちません。

 

『AからCまでそれぞれ5通りあるから5×3』の意味を理解できないという高校生がいます。

 

『三角形ABCの辺BC上に頂点と異なる点Dをとり,角ADBと角ADCそれぞれの二等分線が辺AB,辺ACと交わる点をF,Eとする』という問題文に対し、図が掲載されていないとイメージができず、その図を書いてほしいと言ってくる高校生がいます。

 

偏差値50以上、つまり平均以上の学力の中高生でも、このような事態はしばしば起こっています。

 

このような日本の学生に対して、早々と英語を学ばせている場合ではありません。