023 【カテゴリー:英語教育・小学英語】 2020年度施行の小学英語について

この教科書は,子どもたちが,英語の表現や文字を学ぶとともに,映像や音声を通じ,日本と世界の国々の文化の違いや共通点を発見し,お互いに英語で伝え合うことの楽しさや喜びを実感することを願って・・・



このブログではこれまでに、日本語のこと・英語のこと・数学のこと・教育のことなどについて書いてきましたが、中でも小学英語に関する記事が頻繁に読まれています。

特に子供を持つ大人にとって、英語教育は重大な関心事のひとつでしょう。

今回は、以前に掲載した017【カテゴリー:教育】小学英語は不要であり、国語教育の改善こそが必要である ①を補足するため、2020年(令和2年)4月施行の学習指導要領における小学英語について新たに判ったことを記します。尚、中学英語についても軽く触れています。



017【カテゴリー:教育】小学英語は不要であり、国語教育の改善こそが必要である ①において、小学校の英語について『本格的に教えているようには見受けられない』と書きました。

2019年に尼崎市立図書館にて、文部科学書検定済小学英語の教科書の現物を見て、そのような印象を受けたからです。

この度、新たに1冊の文献*1を見つけたのですが、そこには、現行課程(2020年4月施行) の小学5・6年生でも文法を履修すると明記されていました。

*1 編著:コンデックス研究所 『いつの間に?! ココまで変わった学校の教科書』 成美堂出版 2019年8月20日発行

小学6年生までに単語 600~700語程度、挨拶など使用頻度の高い表現、
肯定文否定文命令文助動詞(can,do など)基本的な代名詞動名詞過去形疑問詞で始まる疑問文
主語+動詞主語+be 動詞+名詞 / 代名詞 / 形容詞主語+動詞+名詞が扱われるとのことです。

助動詞の do は、Do you like ~? などの疑問文の文頭の Do 、ならびに Yes, I do. / No, I don't. の do のことです。

また、主語+動詞主語+be 動詞+名詞 / 代名詞 / 形容詞主語+動詞+名詞 は、それぞれ第1文型、第2文型、第3文型のことです。

大雑把に言うと、従来の中1英語がそのまま小学5・6年生に前倒しされ、中2英語の動名詞や高校英語のS・V・Oの概念が付け加えられていることになります。

一方で、中学英語については それほど大きな変化は見られません。

書店で市販の参考書などを見れば判りますが、

中1英語は従来通り be動詞や一般動詞から始まり、従来は中2英語の初めに習った過去進行形と、助動詞 will を用いた未来の表現が中1英語に前倒しされているようです。

 

また、中2英語の最後には、中3英語から受動態が前倒しされ、中3英語の最後には、高校英語の仮定法のうち初歩的な表現が追加されています。



さて、今回 見つけた文献には、小学5・6年生でも英語の文法を本格的に扱うという趣旨のことが書かれていました。

そこで、この度 改めて尼崎市立図書館に所蔵されている文部科学省検定済教科書を見てきたのですが、

その前に、そもそも小学校学習指導要領(2017年告示)解説の記述を抜粋すると、



高学年の外国語科の英語における指導計画の作成と内容の取扱いについては,次のように設定した。
・言語材料については,発達の段階に応じて,児童が受容するものと発信するものとがあることに留意して指導することを明記した。
・「推測しながら読む」ことにつながるよう,音声で十分に慣れ親しんだ簡単な語句や基本的な表現について,音声と文字とを関連付けて指導す ることとした。
・文及び文構造の指導に当たっては,文法の用語や用法の指導を行うのではなく,言語活動の中で基本的な表現として繰り返し触れることを通して指導することとした。




などと書かれています。

かなり曖昧な記述ですが、引用箇所の最後に、文法の用語や用法の指導を行うのではなく,言語活動の中で基本的な表現として繰り返し触れることを通して指導するとあることから、文法をガチガチに固める訳ではないことが見て取れます。

そして、実際に使われている文部科学省検定済教科書*2 の構成を説明すると、

*2
文部科学省検定済教科書 38 光村 英語 507 小学校外国語科用 Here We Go! ⑤
文部科学省検定済教科書 38 光村 英語 607 小学校外国語科用 Here We Go! ⑥
いずれも平成31年(2019年)3月7日検定済、令和2年(2020年)2月5日発行


章(Lesson 又は Unit)ごと、節(Part 又は Section)ごとに、そこで扱う文法項目を明示した例文は掲載されておらず、新出単語すら書かれていません。

単語は、巻末にイラストとセットでまとめて載せているだけで、教科書とは別の副教材を併用することを前提としているようです。

例文に関しては、巻末にまとめて掲載されていますが、『文法』『きまり』ではなく、あくまで『表現』という扱いに過ぎません。

上で引用した学習指導要領の記述に沿った構成です。

2019年に見たものとは別の教科書でしたが、ほぼ同じ構成でした。

※ 2020年度施行の学習指導要領ですが、2018年度から2019年度は移行期間として設定されており、
地域によっては 2018年度から公立小学校でも5・6年生で教科としての英語の授業が行われていました。

そのため2019年の時点で尼崎市立図書館には文部科学省検定済教科書が置かれていたということです。

写真やイラストが大部分を占めており、また、会話文(本文)のページよりもアクティビティのページのほうが圧倒的に多く設けられています。

やはり、文法については本格的に扱う訳ではないようです。現に、中学に上がってから、再度 be動詞や一般動詞から始めるのですから。

このような内容で、テストを実施して点数を付けて、通知表で成績評価まで付くという、不思議な現象が起きています。

小学校への英語教育導入の以前から、教育現場では小学英語導入に反対する意見が多数を占めていたと聞きますが、現状、小学校の教員としては なかなかやりづらいのではないでしょうか。



以前から、教育現場を除くと小学校への英語教育導入に賛同する人は多く、『日本の国際競争力』云々うんぬんという話と『早く始めるほど英語力は身に付く』というい幻想が、小学英語導入に賛成する根拠として頻繁に掲げられていましたが、

現状では中学・高校へとつながる英語の土台・素地を身に付けるに足るほどの内容にすらなっていないというのが、私の率直な感想です。

むしろ、楽しむことが主な目的とされているようにさえ受け取れます。



最近の小学・中学の教科書の裏表紙には、教科書を使う児童・生徒や保護者に向けたメッセージが書かれています。

今回 尼崎市立図書館で見た光村図書の教科書には、次のように書かれていました。

この教科書は,子どもたちが,英語の表現や文字を学ぶとともに,映像や音声を通じ,日本と世界の国々の文化の違いや共通点を発見し,お互いに英語で伝え合うことの楽しさや喜びを実感することを願って編集したものです。ご家庭においても,折にふれ,この教科書を子どもたちと言葉や文化について語り合うきっかけとしてご活用ください。

この記事の冒頭に記したのは、この一部です。

やはり、2020年に教科化される前の課外活動の時と同じで、楽しむことが主眼のようです。

楽しみながら、社会の地理でも習うことを題材の一部としつつ、英語で頻繁に用いる表現の初歩的なものに触れる、というのが実情のようです。

文法については中学に上がってやり直すため、中学英語にも大きな変化はありません。

多くの親が不安にさせられたことでしょうが、その影響を受けて英語教材の出版や学習塾・英語の塾などの界隈がに賑わっているのではないでしょうか。



これまで一貫して書いてきましたが、小学英語は不要であり、それ以前に我々の母語である日本語(国語)教育を改善するべきだというのが、私の考えの根幹にあります。

今後もこの問題については調べて、新たに判ったことがあれば続けて書いていきます。

また、中高生であれ大人であれ、英語であれ他の外国語であれ、どのように学べば良いのかについても、私の経験を踏まえて書いていく予定です。





022 【カテゴリー:日本語・語学】日本語の可能表現



日本語は難しい言語だと言われます。

今回は その理由のひとつと言える 日本語における可能表現についてです。


 

日本語の主な可能表現の種類
1.『~することができる』
2.助動詞『れる/られる』
3.可能の意味合いを含む動詞『見える』『聞こえる』
4.可能動詞

 


 

1.『~することができる』


『~することができる』という表現は、『~する』の箇所で動詞の連体形を用いて、形式名詞『こと』助詞』動詞『できる』を続けることで表される表現で、ほとんどの動詞で使えるため、日本語を母語とする人には分かりやすい表現だと言えるでしょう。

ただし、助詞』の代わりに『』や『』などを用いることもあります。

例:
作ることできる
書くことできる
話すことできる
見ることさえできる
見ることさえもできる
頭で理解することならできる

このように助詞が絡んでくると、可能表現 以前の問題として難しくなってくるでしょう。

過去に一度、韓国人留学生と話をする機会があったのですが、文法的に日本語と近い韓国語を母語とする人であっても『助詞の使い分けが難しい』と言っていました。


 

2.助動詞『れる/られる』


そもそも助動詞『れるられる』には4つの意味があります。

A.受け身
自転車を盗まれる
熊に襲われる
先生に叱られる
※下線部は動詞『叱る』の未然形『叱ら』と助動詞『れる』の組み合わせで、『叱+られる』ではありません。


B.可能
生のまま食べられる
皮ごと食べられる
※下線部は動詞『食べる』の未然形『食べ』と助動詞『られる』の組み合わせです。

C.尊敬
また来られたのですか。

D.自発
不思議に思われる


助動詞『れるられる』には上記の4つの意味があります。

ちなみに、『おっしゃる』『召し上がる』『なさる』『下さる』などの尊敬語の動詞や、『~なさる』『お~になる』などの尊敬の表現もあり、

尊敬の意味で『れるられる』を用いるよりは、『なさる』『~なさる』『お~になる』などの尊敬語や尊敬表現を用いたほうが良いとされており、実際に『れるられる』が上の4つの意味のうち尊敬で使われることはそれほど多くないように感じます。

また、受け身可能かを区別するため、『食べる』などの動詞では、『食べることができる』の可能の意味では『』を省略する、いわゆる『ぬき言葉』が定着しています。可能の意味の時は『食べれる』、受け身の意味、熊などに襲われて食されるような場合は『食べられる』、といった具合です。

助動詞『れるられる』に4つの意味があるのも日本語を難しくする要因ですが、そこに敬語や『らぬき言葉』が関わってくると、日本語を学ぶ人たちはなかなかに大変なのではないでしょうか。

また、『食べ()れる』を『れる』に換えると現代では受け身の意味にしかならず、こう考えてみると『日本語はとてもややこしい』とすら思わされます。


 

3.可能の意味合いを含む動詞『見える』『聞こえる』


見える』『聞こえる』の2つは特殊な部類で、常に可能の意味を持つとは言い切れず、本来は自発の意味合いが最も近いように感じます。

見える』『聞こえる』の原義は、それぞれ『自然と視界に入ってくる』『自然と耳に入ってくる』ということだそうです。

ちなみに、『見える』は『おいでになる』『いらっしゃる』という尊敬の意味で用いるケースもあります。

そして、

『彼は年齢のわりに若く見える』 『津軽弁は外国語のように聞こえる

のような例では、いずれも『感じられる』などに置き換えが可能で、自発の意味合いが最も近いような気がします。



もっとも、

見えることができる』 『聞こえることができる』

見えられる』 『聞こえられる』

のように、1.『~することができる』2.助動詞『れる/られる』で書いた可能表現と『見える』『聞こえる』を併用できないのは、そもそも『見える』『聞こえる』に可能の意味合いが含まれているからだと言えるでしょう。

また、

『よく見える』 『よく聞こえる』

と言えば、

『はっきり視認することができる』 『よく聞き取ることができる』

のように、やはり可能の意味になります。



以上のことを踏まえると、『見える』『聞こえる』には可能の意味と自発の意味の両方が含まれると言っても良いのかもしれません。

あるいは、そもそも可能の意味と自発の意味は互いに独立しているものではなく、何らかの共通点があるのかもしれません。

日本語学・国文学上は可能の意味と自発の意味は明確に区別されているようですが...

ちなみに『見える』と『聞こえる』はそれぞれ、古語の『見ゆ』と『聞こゆ』からきているのですが、

この古語の『見ゆ』と『聞こゆ』を更に遡ると、上代奈良時代・それ以前)の受け身・自発・可能の助動詞『』が関係しているとのことです。

奈良時代・それ以前に使われていた助動詞『』にも自発可能の両方の意味があったということです。

受け身は別としても、自発可能はどこかで通じているのでしょうか。


 

4.可能動詞


最後に、やや変則的と言える可能動詞を紹介します。

そもそも可能動詞とは、五段活用の動詞から生じています。

五段活用の動詞は、『書・読・話・飲・進・使』など、後に否定の助動詞『ない』などを付け足す時にウ段の箇所がア段に変わる動詞です。

ないないない、といったようにです。

そして、それらから生じた可能動詞は五段活用から下一段活用に変化するという共通の特徴があります。

下一段活用の下一段とは、ウ段のひとつ下にあるエ段のみ、という意味合いで、下一段活用の動詞は『始る・整る・調る』など、終止形でも未然形でもどの形でもエ段の箇所はそのまま残ります。

可能動詞も、以下に挙げますが すべて下一段活用の動詞です。

ちなみに、可能動詞は近世の江戸語に発生し、明治以降に次第に定着していったとのことです。また、2.助動詞『れる/られる』の項目で書いたら抜き言葉と同様、個別に覚えなければなりません。



では実際に、もとの動詞と派生してできた可能動詞を挙げていきます。

A.飲む - 飲める
B.書く - 書ける
C.使う - 使える
D.話す - 話せる
E.立て直す - 立て直せる
F.進む - 進める

最後に挙げた【進む - 進める】の組み合わせは通常の動詞と可能動詞の関係ではなく、本来は自動詞と他動詞の組み合わせなのですが、後で精査します。



一旦、【進む - 進める】以外の組み合わせを見てみます。


 A.飲む - 飲める 

『飲む』に可能の意味を持たせる、つまり『飲むことができる』という時、元来は『飲まれる』としていました。現代では『飲むことができる』という意味での『飲まれる』は使われていませんが、明治時代には存在したようです。

森鴎外の小説『杯』の中で、『そうね。こんな物じゃあ飲まはしないわ』という台詞が出てくるそうです。現代なら『飲めはしないわ』とする場面です。


 B.書く - 書ける 

こちらの『書ける』は『書く』に可能の意味を持たせたものです。


以下も同様です。尚、上には挙げていませんが【立ち直る - 立ち直れる】の組み合わせが考えられます。

ちなみに【立ち直る - 立て直す】は【自動詞 - 他動詞】の関係にあります。

そして、【立ち直る - 立ち直れる】ですが、よく聞くわりには国語辞典には『立ち直れる』は掲載されておらず、正式には認められていない可能性があります。しかし、『立ち直れる立ち直れない』はよく聞く表現ですし、パソコンなどの漢字変換でも出てきます。



では、最後の【進む - 進める】の組み合わせについてです。

工事が進む - 工事を進める
宿題が進む - 宿題を進める
話が進む  - 話を進める

のような場合は明らかに【自動詞 - 他動詞】の関係ですが、次の例はどうでしょう。

暗くなってきたから今日はこれ以上 進めない
かなり難しくなってきたから今はこれ以上 進めない
まだまだ進めそうだ

上記の3つの例はいずれも可能の意味だと感じる人が多いのではないでしょうか。

現に、Google 翻訳でこれらの日本語を英語に変換してみると、

暗くなってきたから、今日はこれ以上 進めない。→ It's getting dark, so I can't go any further today.

まだまだ進めそうだ。→ It looks like we can continue.

となり、英語訳では可能の助動詞 can が使われています。

進める』という可能動詞は今のところ国語辞典には記載はなく、『進める』の可能動詞(可能表現)は『進められる』だとされています。

『これ以上 進められない』が正しい表現であることは確かですが、『これ以上 続けられない』や『これ以上 国を治められない』といった表現はよく聞くのに対し、『これ以上 進められない』はあまり聞く機会がないように感じます。

『進むことができる/進めることができる』の可能の意味の『進める』は現在は誤用法とされているのかもしれませんが、将来的には容認されて国語辞典に可能動詞として掲載されるかもしれません。



やはり、日本語は難しいですね。

このような日本語の文法や表現・現象に 日本語を母語とする私たちが精通することは 絶対的に必要ではありませんが、ある程度 触れて 自身の母語について理解しておけば、後に英語など外国語を学ぶ際に役に立つ場面もあるのではないでしょうか。

018 【カテゴリー:教育・語学】外国語の習得には、その言語の文法と母語に対する見識が不可欠である ②
019 【カテゴリー:教育・日本語】外国語の習得には、その言語の文法と母語に対する見識が不可欠である ③ ~現在完了と『~している』~
で既に紹介した通り、外国語を習得するうえで母語についての見識は有用であることがよくあります。

中学1・2年生の国語の授業で、日本語の文法をわずかに扱うことがありますが、小学校のうちから少しずつ・定期的に接する機会があれば良いのに、と思います。





021 【カテゴリー:数学・教育】高校数学でも使える単純な数え方 ~ 数列の和と、連続する整数の個数 ~





教科書の35ページから79ページまで何ページあるか計算する際、

  7934=45 

とすれば1回で求めることができます。

この数え方は極めて単純ですが、高校の数学でも使うことが可能です。

35ページから79ページまでなのだから

  7935=44 と計算しそうになりますが、

この計算は35ページを除外して36ページから79ページまでのページ数を求めていることになります。

もっと数字を小さくして、からまで整数はいくつあるか。

  

とするとを除外しからまでの整数の個数を求てしまいます。


1 2 3 || 5 6 7 8 || 10 11 ...


このように区切って、縦棒の左にある数字同士を引いて

  

と計算するべきなのです。




数学に対して皆さんはどのようなイメージを持っているでしょうか。

中学の主要5教科と言われる教科(英数国理社)の中で、最も敬遠され 苦手とする人が多いのは 数学です。

個別指導の塾で中高生の間で最も需要が多いのも数学です。

016【カテゴリー:教育】解法暗記が幅を利かせている大学入試数学でも書いたように、高校に上がると それまでとは比較にならないほど勉強量が増え、授業の進度も速くなり、理解する暇もなくただ公式を暗記させられるケースが多くなります。

また、今の高校数学、特に数学ⅡBは、それがどのように役に立っているのか分からず 達成感も得られない、ただの煩雑な計算問題に成り下がっている傾向が見られます。

このような数学に対し、ややこしい・複雑といったイメージを持つ人は多いことと思います。

私自身が高校の時 特に数学で苦労しましたし、
また、高校2年次からの文理選択の際、数学が苦手だからという理由で文系を選択する人は少なくありません。

それどころか、理系に進む人の中でも数学が苦手という人は一定数 見られます。




小学算数・中学数学・高校数学において、数学(算数)は積み重ねの教科だと言われます。

このことは他の教科にもあてはまりますが、中1内容でつまづいていれば中2中3内容でわからない箇所が生じますし、

小学内容で解らない箇所があれば中学内容の理解に支障を来たします。そのまま進めば高校内容の理解に影響します。

例えば、高校の数学Ⅰでは以下のような式の変形が出てきます。

  (a-b)(b-c)(a-c)=(a-b)(b-c)(c-a)

イコールの左側(左辺)とイコールの右側(右辺)にはそれぞれ3つの項目があり、

左辺には a-b b-c a-c
右辺には a-b b-c c-a の3つの項目があります。

それぞれの項目の間に掛け算の記号が省略されています。

そして、左辺と右辺では a-cc-a の順序が入れ替わっており、右辺の頭にはマイナスの記号が付いています。

この式の変形で戸惑う高校生がいるのですが、これは中1数学で習う正負の数の引き算と掛け算で簡単に説明ができます。

a-cを5-3に、c-aを3-5に見立ててみましょう。

5-3=2,3-5=2 のように、引き算で順序を入れ替えると、結果のプラス・マイナスが入れ替わります。

そして、ー2にー1を掛けるとプラスの2になります。あるいは

  (ー2)=2 と表現してもいいでしょう。

このように、引き算の順序を入れ替えると結果の正負が逆転し、更にマイナスの記号をひとつ付け加えれば元に戻ります。

そのため

  5-3=(3-5) となり、

 

同様に

  a-c=(c-a)  となります。




高校数学の例ひとつとっても、このように中1内容で説明のつくものが存在するのですが、教科書や大半の参考書は 既習内容は理解していることを前提として書かれているため、分からない箇所があればどこかでギャップを埋める必要があります。

それを自力でできる人もいれば、丁寧に説明してくれる先生も稀にいます。

自分でできなければ解らないままですし、学校の先生の多くは そこまで丁寧に説明してくれません。




さて、タイトルに挙げた『単純な数え方』に話を戻します。

教科書の35ページから79ページまで、合計で何ページあるか。

これを求める際、中学以降の数学では

79-(35-1) あるいは 7935+1

のような形の公式が使われます。

79-(35-1) も 7935+1 もいずれも45ですし、

実際に35ページから79ページまで順に数えてみればページ数は45になるのですが、
公式を覚えるようなやり方ばかりを重ねていくと いずれは複雑になり、覚えるのも困難になってきます。

ところが、高校の数学では 連続する整数の個数が絡んだ公式が複数 登場します。

公式として覚えてしまえば、あとは充てはめるだけですが、それでは応用が効かない場面に遭遇することもあるでしょう。




公式を使うだけでなく実際に何個あるかを考える必要があるときに、冒頭で書いた数え方が有効になります。

 

もっとも、この記事のタイトルにしている 冒頭で紹介した数え方を まともに説明している人に 出会ったことはありませんが。


現行課程では数学Bにある『数列』で、以下のような例があります。

2,4,8,16,32,64 ....

初めの項目(初項)は2、それに2をひとつずつ掛けた数を左から順に並べたもので、等比数列と呼ばれるものです。

等比数列では掛ける数字(この例では2)のことは公比と呼びます。

2,4,8,16,32,64 .... の代わりに 21,22,23,24,25,26 .... と表すことも可能です。

そして、これらを一般化して 2n と表します。

この等比数列では、初項は2、第2項は4、第3項は8、第n項は2n となります。




そして、この 2nで表されるものを初項の2から順に足していき、

1+22+23+24+25+26 + ... +2n

これがどのような値をとるか求める(計算する)問題が出てきます。シグマ記号(Σ)を用いて表すものです。

ここで


等比数列の和の公式




という公式を使います。

aには初項、ここでは2、

rには公比、ここでは2をあてはめます。

nには項目がいくるあるか(項数)をあてはめます。

初歩的な問題では初項から第n項までの和を求めることを要求されるだけで、

上に掲載した公式のaの箇所に2を、rの箇所に2を代入し、nはnのまま残せば良いので、

公式をそのまま用いるだけの問題ということになります。

1,22,23,24 ... 2n のようなケースであれば、

いくつあるか、項数がいくつかを数える必要はありません。

敢えて数えるのであれば、初項から第n項

つまりからまでなので、

  ではなく

  0 

n個となります。

ただ公式を覚えていれば済む問題です。




しかし、場合によっては以下のように、いくつあるのか、項数がいくつかを数える必要が出てきます。


 20+21+22+23+24+25+26+27+28


 2-3+2-2+2-1+20+21+22+ ... +2n-2+2n-1


このような事例では、上記の公式を覚えていたとしても、そもそも20から28まで、2-3から2n-1まで、それぞれ何項目あるか(項数がいくつか)を正確に考えることができなければ、公式の n の箇所に何をあてはめるべきかが判らず、正しい結果を導くことができません。

ここで、冒頭で紹介した数え方が役に立ちます。

0から28までなら、からまで だから

-(-1) で9個 



-3から2n-1までなら、-3からn-1まで だから

n-1-(-4) で(n+3)個 

となります。

016【カテゴリー:教育】解法暗記が幅を利かせている大学入試数学でも書いたように、公式を暗記するだけでは考える習慣がつきません。

しかし逆に、冒頭で上げた、

5から9まで整数はいくつあるか求める方法を

 9-4 として考える習慣がついていれば、上のようなイレギュラーな事例にも対処できますし、公式そのものの理解にもつながります。

この連続する整数の個数の数え方は、等比数列の和のほかには、

 

数学ⅠA 集合の要素の個数

数学A 場合の数

数学A 整数の性質

 

など、整数や個数などが絡む分野で使える場面があると思います。

 

 



繰り返しになりますが016【カテゴリー:教育】解法暗記が幅を利かせている大学入試数学でも書いたように、

高校の数学では、理解が追い付かないまま多数の公式や定理を暗記させられます。

そこに問題ごとの解法(多くの場合テクニック)までもが必要になります。

そのため、高校数学は何かと煩雑となり、苦手とする人が続出します。

しかし、ここまで書いてきたように、本来はシンプルなことをいくつも積み重ねている部分もあり、

 

すべてが難解という訳ではないはずです。

現状よりも物事を深く考える習慣を付けるための教育が行われていれば、ここまで数学嫌いな人はいなかったかもしれませんが、

教育そのものの改善も期待できません。




前回の記事でも書いたように、学校の成績は頭の良し悪しだけで決まるものではありません。

繰り返しになりますが、これからは一人ひとりの個性が重要になってくるだろうと思います。

数学を究めたければ究めれば良いのですが、

一方で、数学嫌いの人が無理に克服する必要まではないと思います。

とは言え、たとえ数学が嫌いでも、今回 紹介したような、小学内容から連綿と続く基礎的な項目の積み重ねに気付くことができれば、数学嫌いは克服できるかもしれませんね。

今後も、数学、英語、日本語などの話題を中心に、普段 私が考えていることや気付いたことを少しずつ書いていく予定です。





020 【カテゴリー:教育】頭の良い悪いだけでは学校の成績は決まらない

今回は、学校の成績や勉強のでき具合は 頭の良し悪しより性格が大きく関わっているという 私の考えを 紹介します。随筆のように私の思ったことや体験したことを綴ります。

 


 

見出し
1.学校の成績を左右するもの
2.頭が良いと言われても
3.小学校の漢字テストで体験したこと
4.高校での世界史の話
5.大学に上がって第二外国語を始めて
6.海外に行ったら
7.おわりに(個性について)

 


 

1.学校の成績を左右するもの

 

この世の中では、学校の成績が良いほど頭が良く、逆に成績が良くないと頭が良くないと思われがちですが、実際のところ 頭の良さだけでなく 性格も学校の成績と深い関わりがあるのではないでしょうか。

 

あるいは、どれだけ努力するのか、これも深く関係しているでしょう。そしてどれだけ努力するかは、どれだけ粘り強いか・辛抱強いかといった性格と結び付くため、結局は性格が勉強のできる・できないを大きく左右することになりそうです。

 

コーチングという、勉強そのものとは別で やる気を引き出すための手法があります。勉強への意欲を高めるためにコーチングを取り入れている塾もあるくらいです。

 

頭が良いかに関係なく、勉強に対して意識を向かわせたり 何らかの習慣づけをしたりしようとする手段があることからも、頭の良さ以外に勉強のでき具合を左右する条件があることは確かであると言えるでしょう。

 


 

2.頭が良いと言われても

 

私は、履歴書を提出すると、そこに書いてある内容から頭が良いと思われがちですが、決してそうではありません。

 

中学生の頃 私は既に、自分で頭が良いとは思っていませんでしたし、塾で先生から『頭がいいのかな』と言われて真っ先に否定したのを今でも覚えています。

 

両親はそれぞれ頭の良い家系だそうで、小学中学の頃の通知表が良かったといった自慢話を聞かされた記憶があります。特に父親は自分で頭が良いと思っている やたらとプライドの高い人間なのですが、そんな父は 私がどれだけ苦労してきたかも解らずに、私が父と似て頭が良く 楽に乗り切ってきたとでも思っているようです。

 

私が小学生の時から塾に通わせて 相当な量の勉強をさせておいて、私がどれだけ努力してきたのかさえ解らず、それでいて自分では頭がいいと思って偉そうにしているので、それでどこが頭がいいのだろうかとただ呆れるばかりです。

 


 

3.小学校の漢字テストで体験したこと

 

小学校・中学校の国語では、漢字のとめ・はね・はらい、書き順や画数・部首など、かなり細かいことまで覚えさせられます。漢字のテストでは、とめ・はね・はらいのひとつ違うだけでも減点されます。

 

この漢字の問題は、細かいところまで気にする 又は忠実にするタイプの人と 大雑把にやる人の間で 大きな差が出る 典型例です。

 

私が小学3・4年生の時、クラスで自分だけが漢字テストで 100点をとったことが何度かありましたが、これも頭の良い悪いより性格が深く関わっていると思います。

 

その当時 同じクラスにいた同級生の一人は、高校まで私と同じ学校で、高校を卒業した1年後は医学部に進学したのですが、高校での成績は私よりもその友人のほうが圧倒的に上位でした。

 

しかし小学3・4年生の時、漢字テストで満点をとる頻度は私のほうが高かったのです。この体験から言えるのは、やはり頭が良いかどうかだけでは テストの点数や成績は決まらないということです。

 

小学校での勉強には、漢字のとめ・はね・はらいのほかに、算数で習う四則演算や小数の計算など、細かい注意が必要な分野が存在します。こういった分野は、理解する必要もありますし、それなりに集中力も必要ですが、それだけではなく、細かいところにまで気を留める性格なのか、逆に細かいことは苦手で大雑把に済ませる性格なのかも大きく影響してくるのではないでしょうか。

 


 

4.高校での世界史の話

 

高校に進学してから、得意な科目と苦手な科目の差が大きくなりました。中でも世界史は全く頭に入ってきませんでした。

 

コロンブスアメリカ大陸に渡った時代のできごとを基にした映画や、ローマ帝国で奴隷同士を剣と盾で闘わせていた時の様子を描いた作品、戦争を描いた映像など、そういったものの多くは背景が暗く、また人々の行いがあまりにも野蛮で、父親はよく見ていましたが 私はそういったものを好きになれませんでした。

 

世界史で習うことは、いわばそういった殺し合いや戦争の歴史であり、常に暗いイメージが付きまとって、うけつけなかったのです。私がそのようなことをいちいち考えない性格だったら、世界史の成績は実際よりも良かっただろうと思います。

 

小学校ではクラスで自分だけが満点をとり、中学の時も、塾で先生から天才であるかのように誤解されていた私ですが、高校2年生の時に一度、世界史の定期テストで4点をとったことがあり、同年の2学期には通知表で赤点を食らいました。学年で私ひとりだけです。

 


 

5.大学に上がって第二外国語を始めて

 

高校卒業後は外国語学部の英語の学科に進学し、第二外国語は何も考えずにフランス語を選択したのですが、初めのうちは、第二外国語については大学卒業に必要な単位が取れれば良いと思っており、たいして熱心には取り組みませんでした。

 

しかし、大学1年目の夏にスペイン語の学科の友人と出かけていた時、スペイン語の学科の学生同士で新しい外国語について話していることが多く、その会話を頻繁に聞いているうちに、自分も英語とは別の外国語をマスターしたいと思うようになり、その時からフランス語にも真剣に取り組むようになりました。

 

このように、何かのきっかけがあって物事に取り組み始めることもあり、当然ながら そのような小さなきっかけが 学校の成績や進路を左右することも あるのです。

 

それ以来 通学時間などを利用して、毎日 何時間も取り組んで、約3年でフランス語検定の2級に合格しました。

 

話は前後しますが、大学受験までに約1年間、英語は毎日リスニングをしながら長文を読み、その中で単語を覚えることを習慣にしていました。そのおかげで、最後の1年で英語の点数は急速に上げることができました。

 

大学に上がる前にそのような体験をしていたため、第二外国語のフランス語も、何時間も聞いて、たくさん読んで、ディクテーションも積極的に行い、母語を身に付けるプロセスに近いものも多く取り入れていました。

 

大学でのフランス語の授業は週に2コマのみ・2年間だけで、約3年でフランス語検定の2級に合格したのも、頭が良かったからではありません。

 

このブログの初回の記事の中でも触れましたが、高校3年生のときに体調を崩して 心療内科に通っており、大学生の時の私は、頭があまり働いていませんでした。授業の予習やテスト勉強などには、人よりも随分と時間がかかりました。

 

キレの良い天才で楽々とやってきたのではありません。

 


 

6.海外に行ったら

 

学校の勉強とは若干 異なりますが、語学力を付ける、特に外国語を話す能力を身に付けるには、積極的に人とコミュニケーションをとることが必要と言われます。海外に留学に行ったら、現地の人と積極的に会話をするよう推奨されます。

 

これは実際その通りで、自分の考えを現地の言葉で表現したり 人の話を聞いたりして 現地の言葉を使う機会を作らなければ、海外に行ったところで会話能力は伸びません。

 

しかし、積極的にコミュニケーションを取りましょうと言われても、そもそも内気な性格で、自分から何かを話すのが苦手では、誰かと一緒にいても話すことがありません。

 

私は自分の体験から、このことを強く実感しています。

 

親から押さえつけられ、自分を表に出す機会がなかったため、自分から話しかけることがとても苦手でした。相手の話を長時間 聞き続けることはできても、自分の意見を求められたところで応えることがなかなかできませんでした。

 

大学在学中に短期間、語学留学で海外に行きましたが、語学学校でのクラスはただの苦痛でしかありませんでした。

 

当時の私のように 自分から話しかけたり 自分から意見を述べたりするのが 苦手な人は、無理に話そうとしても それ自体がうまくいかないことすらあります。

 

自分の言いたいことがなかなか見つからないタイプの人は、むしろ単語・熟語・表現を豊富に盛り込んだ会話文や文章を用いて、繰り返し聞いたり読んだりすることを続けたほうが速く上達します。

 

そもそも語彙や表現のレパトリーが足りないままでは、自分の言いたいことがあったとしても よその言葉でうまく言い表すことはなかなかできません。

 

逆に 語彙や表現のレパトリーを増やせば、積極的にコミュニケーションをとろうとしなくても、何かを伝える必要がある時には 相手に言いたいことを伝えられるようになるものです。

 

本の学校の英語教育は、英語を聞いたり声に出したりしながら表現のレパトリーを増やすことを、あまりにも疎かにしすぎです。

 

かといって海外の語学スクールに行ったとしても、そこで扱われる表現などは豊富ではなく、積極的に話せる人、もしくは現地の言語と近い言語を母語としていて それなりにその言葉を話せる人が、自分の使える範囲でその言語を用いて話しているだけのことが多々あります。

 

これでは新たに表現などを覚える機会はほとんどないので、最悪の場合ただの『おままごと』になりかねません。あちゃ~

 

私がフランス語検定の2級に合格したのは、帰国してからも自分で毎日 何時間も取り組んだからです。

 


 

7.おわりに(個性について)

 

これまでの私の様々な経験と振り返ると、学校の勉強や その他さまざまなことが得意になるか不得意になるかは、性格をはじめとする個性によるところが大きいと つくづく思わされます。

 

学校の成績ひとつとっても、厳密に言えば主要5教科のほかに美術(図工)、音楽、体育など いわゆる勉強とは異なる分野が存在し、これらの得意・不得意も個性が強く影響します。

 

もちろん、数学が好きなら数学を、歴史が好きなば歴史を追究すれば良いでしょう。

 

これまでの記事の中で何度か紹介してきた Rapt BlogRpat理論+αの中では、Rapt さんが聖書から学ばれたことなどを通して、個性・才能を伸ばすことの重要性について言及されています。

 

RAPT×読者対談〈第123弾〉個性豊かな才能あふれる人々を生み出す社会へ

【第13回】ミナのラジオ – 一流大学・一流企業に入るメリットはもう何もない これからの時代を成功して生きるための最高にして唯一の方法

Rapt Blog のうち個性に関する記事の一覧

 

従来の 学校や塾の勉強が苦手だったという方は、自分の頭が悪いという思い込みは捨てて、ここで紹介した Rapt ブログの記事を是非とも参照して下さい。




019 【カテゴリー:教育・日本語】外国語の習得には、その言語の文法と母語に対する見識が不可欠である ③ ~現在完了と『~している』~

前々回に続いて、第二言語を学ぶ際に母語の見識が必要となることを、日本語の表現に焦点を当てて説明し、また一部では英語について考えるときの改善策も提示しています。

 


 

この記事の構成

1.日本語の表現『~している』と英語の現在完了
2.日本語の表現『~なら/~たら』の様々な意味
3.英語の “ even if ~ ” と日本語の『たとえ~でも』
4.まとめ

 


 

1.日本語の表現『~している』と英語の現在完了

 

まずは日本語の『~している』についてです。この表現は《動詞の連用形 + て (又は)で + いる》の形です。『今 考えている』『もう読んでいる』などです。

 

この表現がもたらす意味合いは、国語辞典では『動作の結果の存続』『動作や状態の進行・継続』などと説明されていますが、大雑把にいうと現在進行のイメージ現在完了のイメージと言えそうです。

 

日本人を対象とした英語の教材では、現在進行形で『今~している』『~しているところです』といった日本語訳が使われて、現在完了では『ちょうど~したところ』『既に~してしまった』『まだ~していない』『今までに何回~したことがある』『いついつから~している』などの日本語訳が使われています。

 

そのため『~している』という日本語の表現を見ると、『今~しているところ』という進行の意味を真っ先に思い浮かべる人が多いでしょう。

 

中学3年生で英語の現在完了を初めて習うときは、『5年間 住んでいる』『先週から風邪をひいている』などの【継続】の場合と、『まだ~していない』などの【完了】の否定形でしか、『~している』という日本語は使われません。

 

しかし実際には、『既に~している』の【完了】の場合や『今までに何回~している』『一度も~していない』などの【経験】の場合のように、日本語の『~している』という表現は英語の現在完了を表す際に広く使えます。

 

ちなみに、『~してきた』という表現も『既に~してきた/今までに~してきた/いついつから~してきた』というように、【完了】【経験】【継続】の3種類で使えます。

 

更に、現在完了に留まらず、過去形の疑問文『Did you ~?/~しましたか』に対する応答文 “ No,I didn't. ” では、『いいえ、しませんでした』『いや、しなかった』より『いいえ、していません』『いや、していない』のほうが普通です。

 

この『いや、していない』『いいえ、していません』で出てくる『~している』の否定形は、まさに現在完了の『まだ~していない』『一度も~していない』に通じるでしょう。

 

『彼はまだ寝ている』のように、現在完了と現在進行の両方の意味を含むのようなケースさえ存在します。この例は英語では現在進行形で He is still sleeping. となりますが、『彼』が眠りについたのは過去のことです。過去に眠りについて、今も寝ている。そういう意味では、むしろ現在完了に近いと言えそうです。

 

そしてこれらのことから言えるのは、日本語の『~している』という表現はかなり広い意味を持っていて、現在完了から現在進行まで表せてしまうということです。

 

英語の現在完了を初めて習う中学生に対し、多くの先生が『過去のある時点に始まって現在にも関係していることを表す』と説明をし、過去を表す点・現在を表す点と過去から現在まで続く矢印を用いた あの図を使いますが、4つの【用法】を厳密に区別し、更に日本語訳まで完全に分けてしまいます。

 

これでは、『過去のある時点に始まって現在にも関係していることを表す』というのがどういうことなのか、解りにくくなるでしょう。

 

それよりも日本語の『~している』『~してきた』を併用したほうが分かりやすいのではないでしょうか。この日本語訳であれば、【完了】【経験】【継続】で共通して使うことができて、『過去のある時点に始まって現在にも関係していることを表す』というイメージもつかみやすくなるはずです。

 


 

英語の現在完了も日本語の『~している』『~してきた』も、単独で用いると意味が曖昧になる可能性はありますが、英語の現在完了では already / yet / just / before / ever / never / since ~ / for ~ などの言葉を、日本語では『既に・まだ・ちょうど・以前・今まで・一度も・~以来・~の間』といった表現を添えて意味を区別しています。

 

これらの表現があれば、意味が曖昧になることもなくなり、現在進行形や過去形との区別もつくはずです。この区別がつかないのであれば それこそ英語以前の問題であり、国語教育の失敗を意味します。

 

 


 

2.日本語の表現『~なら/~たら』の様々な意味

 

続いて、仮定などを表す日本語の表現『~なら/~たら』についてです。

 

多くの人が真っ先に思い浮かぶのは、仮定を表す『もしも~なら』でしょうが、国語辞典で調べなくても、考えてみると複数の意味があることが分かります。

 

① 明日 晴れたら / 晴れなら

これは明らかに仮定の意味を表す例で、英語なら if を用いる場面ですね。

 

② 万が一~なら / 仮に~だとしたら

これは起こる可能性が低いことを仮定しており、英語では if ~ should / if ~ were to などの仮定法を用いる場面です、

 

③ 私なら / 私だったらそのようなことはしない。

これは英語では if の節を伴わない仮定法です。I whould not do such a thing.

 

では、次の例はどうでしょう。

 

④ ペンならここにあるよ。/ ペン?それならここにあるよ。

ここでの『なら』は①②③の『なら』とはだいぶ異なるニュアンスと言えそうです。『それなら』自体は仮定の意味がありますが、『ペンがあるなら』という仮定ではありません。

強いて仮定の意味だと定義するのであれば『ペンについて言うなら』と解釈できなくもないですが、この点については人によって見解が分かれるでしょう。

そもそも『~について言うなら』が仮定の意味だと定義できるかも危ういです。仮定というより文の主題、旧情報と言えそうです。

 

⑤ 着いたら電話して。/ 読んだら返して。

これは、着くこと/読み終えることを前提としているので、この『たら』『だら』は仮定ではありません。英語では when を使う場面です。

『着いたなら』『読んだなら』に換えると、仮定の意味の場合もありそうです。また『一人で行ってみて辿り着けなかったら電話して。』なら明らかに仮定の意味になりますね。

そもそも『なら』と『たら/だら』で少々 違うだろうということで、国語辞典の活用表を確認したところ、『たら』『だら』は過去や完了を表す助動詞『た』の仮定形で、『なら』は断定を表す助動詞『だ』の仮定形ということでした。

※ 今回の記事は、日本語を単語のレベルまで分解して考察するすることが目的ではなく、日本語を母語とする私たちが捉えやすい表現のレベルで考察することを目的としているので、これ以上 細かいことまでは言及しません。

 

そしてもうひとつ、複数の国語辞典には載っていないのですが、次のような表現があります。

 

⑥ 知っていたならなぜ教えてくれなかった。

Why didn’t you let me know while you knew (about) it?

この場合、『知っていた』は明らかな事実であり、『知っていたにもかかわらず』『知っていたのに』などに置き換えられます。英語では while や although などを使う場面です。

 

これとほぼ同じ使い方で以下のものがあります。

 

⑦ 知っているなら早く教えて。/ 持っているなら早く貸して。

これは、仮定の場合と、仮定でなく前提としている場合の2通りが考えられます。

『知っているの?知らないの?知っているなら早く教えて。』なら仮定の意味ですし、『知っているの!? 知っているなら早く教えて。』なら仮定ではなくなります。

 


 

以上、ここまで挙げてきたように、断定の助動詞『だ』の仮定形『なら』や過去の助動詞『た』の仮定形『たら』には、仮定の意味のほかにも複数の意味があり、注意が必要です。

 

中学2年生の英語で接続詞 “ when ”/“ if ” を習う際、“ when ” は『~するとき』、“ if ” は『もし~なら』と区別して習いますが、

⑤ 着いたら電話して。

Call me when you arrive.

⑥ 知っていたならなぜ教えてくれなかった。

Why didn’t you let me know while you knew (about) it?

のように、日本語は『~なら』でも、英語では if では不適切な場合があります。これくらい、中学生でも理解できるのではないでしょうか。中学生がこれを理解できないのであれば、それこそ英語以前の問題であり、国語教育の失敗を意味します。

 


 

3.英語の“ even if ~ ”と日本語の『たとえ~でも』

 

最後にもうひとつの例を挙げます。

 

高校の英語で『 even if ~ たとえ~でも』という【譲歩】の表現を習います。

 

この “ even if ~ ” では時に even が省略されることがあり、その場合【仮定】なのか【譲歩】なのか文脈で判断しなければなならない難しさがあります。

 

この話を聞いた時は、どうして英語のネイティブはこんなにも省略したがるのだろうと思ったものですが、よく考えてみると日本語の『~なら』は、仮定の意味なら『仮に~なら』『もしも~なら』と『仮に/もしも』を伴うことができます。

 

では、譲歩の『たとえ~でも』はというと、『仮に~でも』『もしも~でも』というように、仮定の『~なら』と全く同様に『仮に/もしも』を伴うことができます。

 

また、『~の場合』という仮定の表現がありますが、『~の場合であっても』すると譲歩の意味になります。【仮定】と【譲歩】は意外と近いのかもしれません

 

こう考えると、英語の “ even if ~ ” において even が省略されると言われても、さほど抵抗はなくなるでしょう。

 

更には “ even though ~ ” も “ even if ~ ” と同じく譲歩の意味ですが、それも受け入れられるでしょう。“ though ~ ” は『~だけれど/~なのに』といった逆接の接続詞ですが、

⑥ 知っていたならなぜ教えてくれなかった

の『知っていたなら』が『知ってたのに』『知っていたにもかかわらず』の意味であることを考慮すれば、うなずけるでしょう。

 


 

4.まとめ

 

以上、ここまで中学英語・高校英語を習う時に出てくる日本語の表現『~している』『~なら』『たとえ~でも』について、それぞれの表現が持つ意味や該当する英語表現を見てきました。

 

学校や塾で習うまま、英語と日本語を一対一対応で厳密に覚えてしまうと、現在完了の各用法のような似た部分・共通部分が見えず、全て個別に覚えなければなりません。

 

また日本語から英語に換える際、本質的な意味を分かっていないと間違った英語表現を用いてしまう可能性があります。

 

017【カテゴリー:教育】小学英語は不要であり、国語教育の改善こそが必要である ①でも書きましたが、私たちは物事を考える時、根幹では母語を介して考えます。

 

そして、母語について考察することは第二言語をよりよく理解する助けにもなるのです。

 

英語教育を改革するのであれば、先に国語教育を大きく改善する必要があると言えるでしょう。




017【追補】小学英語は不要であり、国語教育の改善こそ必要である ①

今回は、前回の記事 018【カテゴリー:教育・語学】外国語の習得には、その言語の文法と母語に対する見識が不可欠である ② の続きを書く予定でしたが、急遽 予定を変更し、

前々回の記事 017【カテゴリー:教育】小学英語は不要であり、国語教育の改善こそが必要である ① を補足する記事を書きます。

 

小学校に英語教育を導入するかどうか議論されていた当時、『日本人の英語力が低く、グローバル化が進む中での日本の国際競争力が危ぶまれる』といった論調があった、と書きました。

 

当時、小学校への英語の導入に賛成の立場だった人の多くが、日本の国際競争力を根拠にしていました。反対派の人の多くは、今の私の考え方と同様で国語教育の問題を指摘していました。

 

そもそも国際競争力といっても様々な競争分野があり、さらに言うなら英語力そのものを競うことはまずないはずです。英語力を世界で競うという話を聞いたことがあるでしょうか。

 

小学英語賛成派の皆がみな『世界で英語力そのものを競う』という馬鹿げたことを考えていた訳ではないにせよ、国際競争力の中身をろくに考えることもせず、ただ英語力と国際競争力を結び付けているだけの人が多かったと記憶しています。

 

私は学生のころから、国語教育の改善こそ必要だと考えていましたし、日本人の英語力と日本の国際競争力を結び合わせた論調は馬鹿げたものだと常々 思っていたものです。

 

国際競争力とは本来、

国際政治・経済における指導力・主導権や

科学分野における先端技術などを指すのではないでしょうか。

芸術の分野、更にはスポーツもまた、国際競争の場となりうるでしょう。

 

そして英語力とは、それらを発揮したり発表したりする際の道具でしかありません

 

確かに現代では、科学の分野の世界共通言語はドイツ語から英語に代わり、外交・国際政治における共通語はフランス語から英語へ代わりました。そして、科学分野の研究成果を世界に発表する際は、たとえ初めは自分の母語で論文を書いていたとしても、いずれはイギリスの科学誌 Nature など英語圏で権威のある媒体にて発表することになります。

 

そのため、世界に情報を発信する際に英語力が必要となることは間違いありません。しかし、英語力はあっても世界に送り出すものが何もなければ、国際競争力は無に等しいと言えます。

 

『工学博士が教える高校数学の「使い方」教室 ダイヤモンド社 著者:木野仁』の まえがきにおいて、著者は次のように書いています。

 

<ここから先引用>

私は40歳の頃、イギリスに1年間滞在した。そこで感じたのは、「海外では、英語が流暢に話せることそのものは、たいしたアドバンテージにはならない」ということだった。もちろん、英語が話せないよりは話せたほうがいいには違いない。( 中 略 )イギリス滞在中に仕事などで初対面の人からよく聞かれたことは、「お前は何のプロフェッショナルなのだ?」ということだった。つまり、海外では日本以上に技術のプロに評価を与えるのである。( 中 略 )技術もなく、英語しか話せない日本人が海外に行っても、なかなか職にありつけないと言う。( 中 略 )イギリス滞在中には、私が日本人というと、日本の科学技術に興味を持ってくれる外国人も多かった。その道のプロフェッショナルであれば、英語が流暢にはなせなくても外国では重宝されるのである。

<ここまで引用>

 

日本人の英語力と日本の国際競争力を結び付けた論法が いかにくだらないかが、非常によくわかる内容です。

 

何かを世界に発表するにしても、必要な語彙は分野によって大きく変わります。医学なら医学の用語があり、英語学なら英語学の用語があります。そしてそれらは、それぞれの分野に進んでから身に付けるものであり、仮に英語教育を現行よりも早く始めたところで、みんながありとあらゆる分野の専門用語まで身に付けられる訳ではありません。

 

では、英語教育そのものはどう変えていけばよいのか。

 

それについては今後このブログの中で私の持論を紹介する予定です。




018 【カテゴリー:教育・語学】外国語の習得には、その言語の文法と母語に対する見識が不可欠である ②

日本の英語教育は文法に偏りすぎていると言われることがあります。あるいは、実用英語との乖離が大きいことも度々 指摘されます。私立大学の入試英語などで課される 重箱の隅を突くような些末な文法問題は、大学入試のための問題でしかなく、英語を第二言語として習得するうえではむしろ妨げであると言えるでしょう。

 

しかし、10歳あるいはそれ以上になって新たな言語を習得するうえでは、その言語の単語を並べて文を作る際の法則つまり文法は避けて通ることはできません。

 

大学などで第二外国語を学んだ経験のある人なら、初めに挨拶などの表現を習ったときは覚えづらく、ある程度 文法を身に付けてから 初めにならった挨拶の表現に戻ると どのような構造になっているかがすっきり分かるというような体験を誰もがしているのではないでしょうか。

 

第二外国語を学んだことがなくても、中学に上がって初めて英語を習ったときのことを考えれば分かることです。

 

My name is Ben.

I’m from Australia.

I like Japanese food.

Nice to meet you.

 

これらの表現も、主語と動詞などの語順、be動詞や人称代名詞を習ってから見れば、ごく簡単な文だと再認識できるでしょう。(因みに “Nice to meet you.” は、中学3年で習う It is ~ to不定詞の形で It を省略したものです。)

 

このように考えれば、文法が必要であることは当然のことです。

 


 

この記事の構成
1.主語と補語、主語と述語、日本語の『は・が』
2.現在完了で習う already と yet の位置
3.英語の第3文型と第4文型
4.その他
5.まとめ

 


 

1.主語と補語、主語と述語、日本語の『は・が』

 

ここから先では、新情報旧情報の観点から、第二言語、特に英語を学ぶ際に文法が重要となる例を紹介します。

 

そもそも、『新情報』とは その文で最も伝えたい内容、疑問文なら最も尋ねたい内容、話す側・書く側は知っていても聞く側・読む側は知らない内容のことで、『未知情報』ともいいます。逆に『旧情報』は話す側と聞く側が共有している情報で『既知情報』とも言いますし、文の主題と言うこともできます。

 

英語やフランス語などでは、新情報は文中で後ろのほうに、旧情報は文中で前のほうに置く傾向があります。調べたところ、ドイツ語にも同様の傾向があるそうで、いわゆるヨーロッパ言語には広くあてはまるのかもしれません。ただしあくまで傾向なので、英語では文頭に置く疑問詞や、英語の It is ~ that ~、フランス語の C'est ~ que ~ の強調構文など、例外は存在します。

 

① This is the hospital where I was born.

② The hospital where I was born is this.

 

①は『これは私が生まれた病院です』、②は『私が生まれた病院はここです』となり、①と②で、英語は is の前後、主語と補語が入れ替わっており、対応する日本語も主語と述語が入れ替わっています。①と②それぞれ、be動詞の後ろの部分が新情報で、日本語でも同様に述語の部分が新情報です。

 

①は、地図を見ながら あるいはどこかの病院のホームページを見ながら どこかの病院について話している時に、地図上の場所を指して またはホームページを指して、あるいは現地で建物を指して、それまで話してきた『これ、この病院』という話し手と聞き手が共有している旧情報について、『私が生まれた病院である』という新たな情報を付け足しているということです。

 

②は、自分が生まれた病院について話している中で『これです』という新たな情報を付け加えていることになります。ただし、自分がよく行く病院・入院したことのある病院・そのほか自分と何らかの関わりがある病院について話している状況で②のように言えば、私の生まれた病院のこと自体が初めて出てくるため、文全体が新情報となります。

 

では、次の日本語はどうでしょうか。

 

① これ私が生まれた病院です。

③ これ私の生まれた病院です。

 

③の日本語は、①と比較すると助詞の『は』と『が』の違いが主な相違点ですが、それだけでもニュアンスはだいぶ異なります。③の日本語は、私の生まれた病院について話している状況で出てくる文であり、『これ』が特に伝えたい部分つまり新情報です。

 

英語では語順を入れ替えて新情報旧情報を区別しているのに対し、日本語では『は』と『が』を使い分けることで新情報旧情報かが変わってきます『は』の前は旧情報、『が』の前は新情報です。

 

① これは私が生まれた病院です。

② 私が生まれた病院はこれです。

これが私の生まれた病院です。

 


 

2.現在完了で習う already と yet の位置


現在完了で習う already(既に) は通常は have と過去分詞の間に置くのに対し、yet(否定文:まだ 疑問文:既に)は通常は文末に置きます。

I have already bought the latest version.

私はもう最新版は買ってある。

I have not bought the latest version yet.

私は最新版はまだ買っていない。

Have you bought the latest version yet?

最新版はもう買いましたか。

 

中学3年生の教科書では、上記の語順で書かれています。

 

肯定文における『もう既に』はあまり重要な情報ではなく、『最新版は買ってしまった』のほうが重要な情報なので、already は文の前のほう、

 

否定文における『まだ』は肯定文における『既に』と比べるとむしろ重要な情報だから文末、

 

疑問文においては『既に買ってあるかどうか』が聞きたい情報、その中でも特に『既に』の部分が最も聞きたい情報だから文末、

 

こう考えると、中学3年生の教科書に書かれている語順が納得できます。

 


 

3.英語の第3文型と第4文型

 

英語の新情報旧情報について、更に例を挙げます。

 

④ Ted gave Bob a new car.

⑤ Ted gave the new car to Bob.

 

いずれも普通は『テッドはボブに新しい車をあげた』となるため、違いがわかりにくいですが、④では、Bob と a new car では a new car が後ろに、⑤では、the new car と to Bob では to Bob が後ろにあり、どちらも後ろにある項目が新情報である場合が多く、この違いが明確になるように日本語訳を変えるなら

 

④ テッドがボブにあげたのは新しい車です。

⑤ テッドが新しい車をあげた相手はボブです。

 

となります。ただし、上の訳の区別は、違いを大げさにするために施したものなので、文脈次第ではいくらでも変わります。

 

文脈次第では、これまで学校で習ったように

 

④ テッドはボブに新しい車をあげた。

⑤ テッドは新しい車をボブにあげた。

 

と訳しでも何ら問題ないでしょう。

 

ところで、このように訳を変えて日本語で見ても、どちらかというと④では『新しい車を』、⑤では『ボブに』がより言いたい項目だと感じられます。日本語も、多少は旧情報を前に・新情報を後ろに置く傾向はあると言えそうです。

 

尚、a と the の使い分けも新情報旧情報の問題がかかわることが多く、新情報には a を、旧情報には the を用いるため、④では a new car、⑤では the new car としています。

 

ただし⑤であっても、聞いている側がどのような車か知らない状況であれば a を用いることになります。

 

⑥ Ted gave a new car to Bob.

 

この場合、『テッドがある新しい車をあげたんだけど、その相手はボブなんだよ』というニュアンスになりそうです。もちろん、文脈次第では『テッドが新しい車をボブにあげた。』ともなりえますが、どちらにせよ⑥は文全体が新情報と言えそうです。

 


 

4.その他

 

語順以外の例をあげると、既に述べたように a は新情報に、the は旧情報に用います。理由について伝える時に用いる since と because では、since は相手が知っている内容、because は相手が知らない内容、という区別があるため、『~だから』と訳せる since は旧情報を伴い because は新情報を伴うと言えそうです。

 

以上のように英語では、a と the の使い分け、since と because の使い分けのほかに、語順を変えることでも新情報旧情報を区別します。一方 日本語では、助詞『は』と『が』を使い分けるなどの方法で、新情報旧情報を区別することができます。

 

また『初めて出てくるときは a を用いて二回目以降は the を用いる』という覚え方では、Close the door. のように初めて出てくる名詞に the が用いられる理由が説明できません。

 

Close the door. というとき、door がどのドアなのか、言う側も聞く側も共通して認識している、同じドアのことを指していて、the door は旧情報に当たるため、a ではなく the が用いられる、というのがより適切な説明の仕方です。もちろん、初めて出てくるものは新情報であることが多く、二回目以降は話し手と聞き手が共有している旧情報となるため、『初めて出てくる名詞には a を用いて二回目以降は the を用いる』という説明も、ある程度は通用することになるのですが…

 


 

5.まとめ

 

ここまで考えることで、私たち日本人が英語を学んだり教えたりする際、英語の文法や日本語の見識が重要となることが分かるでしょう。

 

そして、前回の記事で書いたように、問題文の意味さえまともに解釈できない高校生が多く見受けられる状況では、今回 書いたような話は中学生にも小学生にも通じないでしょう。そして、小学生や中学生に a と the の使い分けをまともに教えることさえできません。

 

次回は、日本語の表現に焦点を当てて、母語の見識が重要になることを説明します。